キャッチコピーをパクられた話

もう数年前の話ですが、
キャッチコピーをパクられたことがありました。

この記事は、
パクられた時のグチをただただ
書きたいわけではなく、

怒り心頭、恨み積年の状況でも、
災い転じて福となす事例だったので、

どなたかのお役に立てばと思い、
当時のことを書いてみようと思います。

よろしければお付き合いください。


パクられ事件は突然に…

ことの発端は、起業講座で知り合った、
Mさんからの一通のメッセージでした。


「ねぇ、ちょっとこれを見てほしいの。
 ミサキさんに言うの、すっごく迷ったの。
 でも、あまりにもミサキさんのキャッチコピー

 そのままだから。私、見過ごせなくてー。
 気を悪くしたらごめんねぇ。」


誠意と優しさのかたまり、Mさんからの、
可愛いらしいメッセージと共に、
ある人の、ある講座の告知文が添付されていました。


添付を開き、パッと目に入ってきた言葉は、

「ふり回されない自分をつくる」

その言葉を見て、速攻でこう思いました。





「これ、ワシのやないかーい!!」




これが、キャッチコピー パクられ事件の始まりでした。





Mさんから連絡をもらった時、
私は夕食の仕込みをしていました。

ある人(以下からパクり人と呼びます)の
告知文を読み進めていくたびに、
私の眉間に、みるみるシワが大集合。

危うく、まな板に包丁をぶっ刺すところでした。

鬼の形相で、チッと舌打ちする私を見た子どもが、
「これは正気の沙汰じゃねぇ」と悟って、

私に向けていた視線を、
すーっと静かにタブレットに向けたのを見て、
「これはいかん!」と、何とか正気に戻りました。

パクり9割9分確定に至るまで

「ふり回されない自分をつくる」

ありきたりで、よく使われそうな言葉だし、
パクられたなんて、大げさじゃない?
と思われるかもしれません。

でも、パクりだと思ったのは、
パクり人とMさんと私が、同じ講座にいたから。

しかもその講座は、ビジネス講座。

キャッチコピーを考える時間もあり、
コピーの意図や意味を、
講師や参加者にプレゼンして、
意見をもらう場面が何度もありました。



ふり回されない自分をつくる

このキャッチコピーの意味は、
誰かに何とかしてもらうのではなく、
自分の力で、周りの人や環境に、振り回されない自分をつくり出せるようになったら、
それが自信につながるのではないか。

「振り回されない」よりも、
「ふり回されない」の方が目に留まるかも。


漢字で「作る」「創る」「造る」じゃなくて、
ひらがなの「つくる」の方が
読みやすいかも。


講座の中で、Mさん始め、色んな人の意見を聞いて、
やっとのことで、ひねり出したコピー。

パクり人もその中にいました。

何をどう考えてパクるに至ったか、
定かではないですが、

告知文には、コピーだけでなく、
「ふり回されない自分をつくるとは…」と、
私のコピーに込めた意味までパクって文章化してありました。

これが、9割9分パクりだと確信した、決定打でした。



言葉は、誰のものでもない。

私みたいなちっぽけな人間が

パクりだなんて、ただの思い上がりだ。

私が出すのが遅かっただけなんだ。



と、自分を責めました。



パクり人のことを、

劣悪最低、マジクソ卑怯者。
とか、ここには書けない位、ボロクソになじりました。

パクった人の発信をパトロールして、

あの言葉もこの言葉も、
誰かのパクりの寄せ集めなんじゃない?!
と、ゆがんだ推理を展開しました。

名のある人なのにパクるだなんて、
売れたくて必死だったんだ。
と、憐れんでみたりもしました。



でも、
どんな事をしても、
私の気持ちはおさまらない。


自分で作ったキャッチコピーに、
「お前、ふり回されない自分をつくるんだろ?!」
と、試されてるのか?と思い詰めるほどの出来事でした。



もんもんとした気持ちを抱えていたとき、
あることに気づき、一気に道が開けました。

ノベオカ、才能発見!

モヤっていても仕方ない。
と、今回のことを分析していたら、

これは、最悪のできごとじゃない。
才能を発揮していたできごとだったんだ!


そう思える瞬間が、突如として訪れました。



それは自分を、
東洋占星術で分析していた時のことです。


私には、
直感で本質をつかみ、それを独特の言葉で表現し、
人の心を揺り動かす才能がある。


私、あの時、才能発揮してたんだ。

あのキャッチコピーは、
盗用してでも使いたくなる、
魅力的なコピーだったんだろうな。


そんな言葉がスラスラと頭の中に浮かんできて、
パクり人への怒り、起きた事へのモヤりが、自然と静まっていきました。


さらに、過去に才能発揮した体験も思い出しました。


私の発信を読んでくれた人が、
「独特の言葉選びが、めっちゃ響く!」
「どんどん引き込まれる文章。つい読んじゃう。」
とコメントをくれたこと。

講座に参加して感想を書くと主催者の方から、
「講座の意図をわかってくれて嬉しい」
「講座だけでなく、私の人柄まで言及してくれて、
 励みになる」
と、喜びの声をいただいたこと。


講座の感想も、
「ぜひ使わせてほしい!」と、
SNS掲載や、お客さまの声への採用率が高いこと。


才能に気づいた。それだけで、

爽快な風が体を駆け抜け、
へばりついていた怒りやモヤりが一気にはぎ取られ、
最悪だったできごとが、
誇れるできごとへと自然と塗りかわっていました。

才能に気づいてわかったこと

当時はショックだったし、
気持ちの落としどころがなくて、
見えないトンネルをさまよっているようで、

すっごく苦しかった。

でも、苦しかったあの出来事が、
私に最高のギフトをくれました。

今では、起こったすべての出来事に
感謝しかありません♡






と言って、美しく締めたいところですが、本音は、

んなワケねーだろ!!

です。



私は根に持つタイプで、
全てを水に流せるほど
器の大きな人間でもありません。


しいて言うなら、
起こった出来事には大感謝。
でも、
パクり人への感謝は、毛頭ございません。



この一件を通じてわかったことは、

幸福なできごとは時として、
不幸の顔をしてやってくる。



最悪としか感じられない事が起こったとしても、
その奥には、
才能に気づくという、真の幸福が眠っている。

そんな事もあるのです。


最悪の奥にある、
真の幸福に気づくためには、

まずは自分の本音に気づくこと。


例えば…
・「ムカつく」と言葉にしてみる。
・我慢しないで泣く。
・胸がギュッとなる感覚を感じる。

最悪なことに出くわしたその瞬間、
わいてきた感覚や言葉を、
おさえこまずに感じて出してみる。

それが本音に気づくということです。


本音に気づくことで、
さらに奥にある、
本当に気づくべき核心が見えてくる。


核心まで気づききってしまうと、
最悪とかイライラ・モヤモヤが
どうでもよくなってきます。

パクり事件から学んだこと、
長くなりましたが書いてみました。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。