ノベオカ ミサキです。
こちら自己紹介のページです。
「もう、こんな自分はイヤだ!自分を変えたい!」
と、もがき続け、今に至った歩みを書いてみました。
長くなりますので、
ピンときたところからお読みください!
お時間ある方は、よろしければ最後までお付き合いいただけましたら嬉しいです。
もくじ
私は独身時代からずっと、
周りの雰囲気をいち早く読んで、その場に合った最適な立ちふるまいをしていました。
人間関係では「この人って不安なんだな」「実はプライド高そう」「これを言ったら喜ぶなぁ」など、
関わりながら相手を分析して、相手の心をつかむ言動をして、相手の信頼を勝ち取る。
自分の足りないところを見つけては「もっと良くしないと」「変わらないと」と克服しまくる。
そのおかげで、世間的に見たら、
努力家、仕事がデキる人、気が利く人、頼れる人、社交的、明るい、優しい人、良い人に思われていたと思います。
かなりの“努力と根性の人”でもありました。
でも、その代償もありました。
何をするにも他者優先の滅私奉公。
自分へのダメ出しと、ダメの克服をする毎日。
周りへの気づかいと、完璧な自分を演出することに精神をすり減らし、
体力も気力も使い果たして、本当は身も心もボロボロ。
おかげで週末はずっと家に引きこもり状態。
一日中パジャマのまま、ぼーっとして時間が過ぎていく。
何もしたくない。
人に会いたくない。
家から一歩も出たくない。
でも、
休日を家で一人で過ごしているなんて、
友達がいない人、充実していない人だと思われそう。
だからリア充を演出すべく、
行きたくないのに外出して、カラ元気ではしゃいでリア充工作をする。
でも、気力がついてこないと、
友人に遊びに誘われても、「予定がある」と噓をついて断る。 約束していても、急に行く気が失せて、ドタキャンする。
こんな状態では結婚なんてできないだろうなぁ。
と思っていましたが、
奇跡的に伴侶に恵まれ、27歳で結婚しました。
楽しい結婚生活が始まって1年。
そろそろ子供が欲しいなぁ~と思うも授からず、
産婦人科へ行くと、不妊の傾向があるとわかり、治療が始まりました。
治療中は薬が合わず、体調もメンタルも優れず、
でも、夫の子供が産みたい!と、ここでも努力と根性で治療と向き合いました。
そして、
3度の流産と2年間の不妊治療を経て、念願の妊娠。
そして出産。
待望の我が子との楽しい日々が始まる!と、
大きな期待を胸に、子育てがスタートしました。
待望のわが子との生活が始まる!これから忙しくなるぞー!
泣いてグズって大変な時もたくさんある。
でも、どんな時も笑顔で大丈夫だよ!と受けとめるお母さんになるんだ!
この忙しさを楽しめるお母さんになるんだ!
そんな期待を抱いて、子育てがスタート。
しかし、その思いとは裏腹に、私の人生の歯車が狂い始めました。
子育てがうまくいかない。
毎日夜泣きが続き、睡眠不足でヘロヘロ。
いつ(夜泣きが)落ち着くの?今日も泣くかなぁ?と、
先が見えない不安でいっぱいの日々。
そして、
やっと夜泣きが落ち着きかけた1歳半、イヤイヤ期に突入。
突然ギャン泣きして大声を出したり、物を投げたり、
何をしてもおさまらない。
仕事が忙しく、帰宅が遅い夫はまったく頼りにならず、
両家の実家も遠い。
ワンオペ育児でやるしかありませんでした。
唯一ほっとできるのは、子供が寝ている時だけ。
子供がお昼寝から起きると、
「あ~、もう起きちゃったかぁ。」
「また、頑張らなきゃ。」
と、心の奥底で思っていました。
その気持ちを押し込めようと、
無理やり笑顔をつくって、
かりそめの優しいママを演じていました。
本当は、
子供と二人の時間が心底辛い。
子育てが楽しいと思えない。
子供が可愛いと思えない。
でも、頑張らなきゃ!やらなきゃ!
そうやって頑張れば頑張るほど、
子供は更にイヤイヤでギャン泣き。
私のイライラも加速する。
自分では気づかないうちに、負のループに入っていました。
そんな状態の時、他のママを見ると、
「何であのママは、
あんなに楽しそうに子育てしてるの?」
「“子供が可愛い~”って本当に思ってる?」
「幸せ!子育てが楽しい!って充実したママを装ってない?!」
みたいに、卑屈で妬ましいとらえ方をして、
どうしたらそう思えるの?
いつになったらそう思えるの?
誰か私が納得できるように説明して欲しい…。
と、心の中で毒づきながら、
ひたすら笑顔で我慢して頑張る日々を過ごしていました。
そしていつしか、心の余裕がまったく無くなり、
その影響は、子供にも。
飲み物をこぼすなど、ちょっとしたことでスイッチが入って、
カッとなり怒鳴る。
習い事で、他の子よりできないと、
「どうしてできないの!」とキツく当たってしまう。
ギャン泣きする子に寄りそわず、
「泣かない!」と一言残して家事に没頭する。
これも子供のため
しつけだから
他のママだって大なり小なり私と同じことをしてるから。
と、自分に言い聞かせ、無理やり落としどころを見つけていました。
でも、
べったりとへばりついた罪悪感がぬぐえない。
「私がお母さんじゃなかったら…」と自分を責めて、
眠るわが子に毎晩、
「今日もごめんね」と謝り、
「明日からは怒らない」
「明日こそは笑顔でいいママでいよう」
と誓っては、いとも簡単に誓いをやぶる自分に落胆する。
また怒っちゃった。なんでいつもこうなるの?!
こんなの良くないとわかってる。
でも、どうしてもやめられない。
毎日毎日そんな状態が続いて、
顔は笑っているけれど、心はズタボロ、罪悪感まみれでした。
この状況をどうにかしたくて、子育て相談に頼ると、
「わかるよ、大変だよね」と同情してくれるものの、
具体的な解消方法には至らない。
怒りのコントロール方法を学んでも、
学んだ当初はよかったが、怒りにのっとられると、もう止められない。
イライラを抑えようと、薬や漢方に頼るも、
少しは落ち着くけれど、カッとなる、イライラするのがおさまらない。
子供との接し方、コミュニケーションの取り方など、
穏やかに子供と接する方法を模索して学んで使いこなしても、気がつくと元通り。
次々と違う方法を求めて、セミナージプシー状態に。
気づいた時には、15以上のセミナーや講座、ノウハウを渡り歩いていました。
それでも解決方法が見つからず手詰まりになり、
落胆しては立ち上がり、笑顔で頑張る毎日にも限界が来た時、
事件が起こりました。
うつ病を発症したのです。
きっかけは、身内のささいな一言でした。
その日から、
まったく眠れなくなり、
食欲もなくなり、
何も楽しくない、イライラもしない。
食事のメニューも考えられず、
何がなんだかわからない。
何の気力もわかず、毎日泣くばかり。
人生のどん底を味わいました。
「私、終わった。」
「もう、生きるのをやめたい。」
本気でそう思いました。
激やせして体はふらふら。立っているのがやっとなほど。
意識はうつろで、夕飯の献立が考えられない。
笑えないし、涙が勝手に出てきて止まらない。
家族や周りの人は、
変わり果てた私を見て、ただただ動揺するばかり。
「元気でしっかり者のあの人がなぜ?!」
心配はしてくれるけど、誰も手を出せない様子でした。
そんな中、
私を救ってくれたのは、
2歳半のわが子の一言でした。
相変わらずの心身絶不調の中、なんとか一日を乗り切り、
わが子と一緒にお風呂に入って、あとは着替えて寝るだけ。
今日がやっと終わった。長かった~。
でも、また眠れない夜が来る。怖いなぁ。
一体いつまで、この状態が続くのだろう。
辛い。苦しい。辛い。苦しい…。
頭の中で、ぐるぐると独り言をつぶやきながら、
わが子の着替えをしていました。
当時のわが子はお着替えの練習中で、
上のパジャマをかぶせると、
「いないいない、ばあ~!!」と言いながら、
頭を勢いよくパジャマから出す。という遊びにハマっていました。
その日もいつもと同じように、
パジャマを頭にかぶせると、
「いないいない、ばあ~!!」と言いながら、
元気にポンッと頭を出して、満面の笑顔で大喜びしていました。
でも、私と目が合うと、わが子は急に真顔になり、
小さな両手で、ぴたっと私の頬を包み込みました。
わが子の突然の行動に驚き、
一瞬、時が止まり、
何が起こったのかわかりませんでした。
そしてわが子は、
思いがけない一言を放ちました。
「お母さん、私がいるから大丈夫。」
その瞬間、
こらえていたものが一気にあふれ出し、
わが子を抱きしめ、声を出して泣きました。
32年間の人生で、一番泣きました。
わが子は泣きもせず、私を抱きしめ、
小さな手で、
私の背中をひたすらなでてくれました。
わが子の姿が頼もしく、心強く、とっても嬉しかった。
でも同時に、
「こんなことを2歳半の子に言わせる母親ではいけない!」
と、私の心の中でカチッとスイッチが入りました。
「うつ病を治したい」
「二度とこんなことになりたくない」
「どうして自分がこんなことになったのか、徹底解明してやる!」
うつ病でどん底の私を、わが子がたった一言で救い出し、
とてつもない意欲と行動力を授けてくれたのです。
私はその日から、カウンセリングを受けました。
カウンセリングで話を聞いてもらうと、
こんなに話を聞いてくれるんだ。
こんなに共感してくれるんだ。
自分が思ったことを言っていいんだ。と、
すごく嬉しくなるし、スッキリして、
「よし、頑張ろう!」
そう思えるのですが、
何日かするとまた、モヤモヤして元通りの繰り返し。
私には、
話を聞いてもらうだけでは解消しない、
根本的な問題がある。
そう感じ、
カウンセリングだけでは物足りず、心理学の勉強を始めました。
それから、
「私にはもう無理です。」と、
カウンセラーの交代申し出があったり、
「あなたには、もう言うことがない。」と言われたりもしました。
それでもあきらめられなかった私は、
人を替えてカウンセリングを受け続け、
自分で勉強しながら原因を突き詰めました。 そして、5人目のカウンセラーに出会ったことが、
私にとてつもなく大きな変化をもたらしたのです。
5人目のカウンセラーは、
マダムと呼びたくなるような、しとやかで落ち着きがあり、凛とした女性でした。
彼女から告げられたのは、
独身時代が苦しかったのも
子育てが辛かったのも
うつ病になったことも、
すべて、自分の幼少期の家族関係につながっている。ということ。
今まで私が体験した、さまざまな悩みは、元をたどると根は同じ。
この気づきが、私の人生を劇的に変えました。
人と関わる中で感じていた、
あの辛さも、この苦しさも、元をたどると幼少期にたどり着く。
その仕組みを1つ1つカウンセラーに説かれるたびに、
早く解決しなきゃ!と焦ってぐるぐるだった頭の中が、
自然と整理され、落ち着いて自分をふり返る、余裕が生まれていました。
そして、
「私はもう、大丈夫。」
不思議なくらい、根拠なくそう思えました。
わが子のことが、
「可愛い」
「本当に大切な存在」と、
心底思えるようになりました。
今までの私は、
子供との関わり方を変えよう
怒りや感情コントロールをしようと、
悩みの根ではなく、枝葉ばかりに手をつけていたので、
その効果は一時的でその場しのぎでしかなかった。
すべては根から始まっていて、
その根を突き止め、手をつけない限り、
悩みは人と状況を変え、別の枝葉となって表出し続け、いつまでも終わらない。
自分の一連の体験から、悩みの根を突き止める重要さを痛感しました。
悩みの根を突き止めたことで、
光が見えた反面、
イヤで嫌いで、ひた隠しにしていた、
本当の自分とも向き合うことになりました。
本当の自分は、
繊細で不安が強く、自信がない。
内向的で、人づきあいが大の苦手。
でも、そんな自分ではダメ。
だから、社交的で明るい、
本当の自分とは真逆のキャラを演じていました。
何でも一人で頑張ってしまうのは、
「ありのままの自分では価値がない」
「頑張らなければ評価されない」
「誰も私を助けてくれない」
「人を信じてはいけない」
という、幼少期にできた思いこみがあったからでした。
わが子にカッとなって怒鳴ってしまう、
イライラが止まらないのは、
私が幼いころ、すごく我慢していたから。
私が幼いころ、
泣いたり怒ったりすると、母を困らせてしまう。
だから、泣くのも怒るのも我慢していた。
でも、わが子は我慢せず、あるがままの感情を表現する。
そうすると、
意識が幼いころの自分にタイムスリップして、
「私は我慢していたのに、許せない!」
と、カッとなって怒鳴ってしまう。
わが子が人と比べてできないことがあると
イライラしてしまうのは、
私が幼いころ、
人と比べられ、できないことは「やれ!」と父親に強要されたから。
例えば、
テストで点数が父親の望むものより低いと、
間違いを理解できるまで、徹夜で勉強させられる。
運動神経が悪いのに、父親が望むバスケをやらされ、
試合で活躍できるようにと、家で筋トレや練習を強要する。
やらない、できないなんて許されない。
できないなら、できるまで頑張らなければいけなかった。
辛くても苦しくても、父は頑張ることをやめさせてくれなかった。
助けてほしくて母にうったえても、
父が怖くて逆らえない母は、
「お願いだから、お父さんの言うことを聞いて。」の一言。
私が父に、怒鳴られたり、手を挙げられてる姿を見ても、
自己保身のために、見て見ぬふり。
その経験から、
誰も私を助けてくれない。
人は信じられない。
信じられるのは自分だけ。
という思いこみが、知らぬ間にできていたのです。
だから、わが子がちょっとできないと、
幼いころの思い込みが発動して、
焦らずのんびりで頑張らないわが子にイライラする。
悩みの根である、自分の幼少期を見ることで、
大人になった自分が、
なぜこんなにも苦しかったのか、
なぜこんなにも悩んでいたのか、
なぜ何をしても変われなかったのか。
ストンストンと腹落ちして、
ものすごく楽になり、安堵した感覚は、10年経った今でも鮮明で忘れられません。
悩みの根に気づき、
これからは自分のために生きたい。もっと自由に生きていい
それはわかったのですが、
新たな悩みが出現しました。
それは、自分のことがわからない。
幼少期のころから、
自信がなくて人に合わせ、
自分を取り繕っていた影響で、
本当の自分を人にさらけ出せなくなり、
自分で自分のことがわからなくなっていました。
カウンセリングでは、
素の自分でいればいい
ありのままの自分でいればいいい
と言われ、
それはよーーーくわかる。その通りだと思う!
でも、
どれが素の自分なの?
ありのままの私って何?
本当の自分がわからない!
という、新たな悩みにぶつかりました。
人に合わせて偽ったり、装ったりして、押し込めていた、
本当の自分を知りたい!!
そこで、性格診断、心理テスト、個性分析、イメージワークなど、
本当の自分を知る方法を求めて、
自分を実験台に、手当たり次第、試して学んでみました。
そして一番手ごたえを感じたのが、
東洋占星術でした。
東洋占星術は、古代中国で4,000年前に発祥し、
干支暦(生まれた年・月・日)をもとに、
その人の生まれ持った素質、宿命、運勢を読み解く学問です。
東洋占星術を駆使することで、
目の前で起こる出来事を、自分がどのように感じ、考え、どんな行動をするのか?
あるがままの自分、本当の自分が読み解ける。
自分で自分がわからなくなって迷走していた私にとって、
強力な救いとなりました。
本当の私は、
自分のペースを尊重したいので、人に合わせるのが苦手。
みんなでワイワイ行動するより、一人で好きなことに没頭することに喜びを感じる。
計画的にコツコツ頑張るよりも、やれる時に全力を出す方が、より良い結果を出せる。
論理的に筋道を立てて考える能力は皆無だが、直感力に優れる。
本当の自分がわかると、
今まで、人と関わるのが苦痛だった理由がわかったり、
コツコツ頑張れないのに、無理していたなぁとか、
社交的なふりをしていたけど、真逆だった。と腑に落ちて、
人と関わる時、人と比べて落ち込んだり、
自分にフタをして、無理して我慢して人に合わせることも少なくなり、
これでいいの?と迷ったら、生まれ持った素質に立ち返って、
自分を基準に行動を選択できるようになり、人と関わるストレスが激減しました。
東洋占星術を知る前のころと比べると、雲泥の差です。
さらに、東洋占星術で、
生まれ持った才能もわかりました。
私の才能は、
魅かれたものを徹底的に掘り下げる探求力。
規格外の発想、奇抜なアイディアを生み出す独特の感性。
目に見えるものの奥にある、見えない世界を洞察し、
本質をあぶり出す力。
最初は「本当にこれが自分の才能なの?!」と半信半疑でしたが、
才能を知って、日常で活かしてみると、
「あなたの意見が聞きたい」
「あなただったらどう思う?」と、
私独自の視点を求められるようになったり、
人の才能を見つけることも大得意だとわかり、
困った時は、才能がある人を見つけて頼ったり、
その人の才能を活かした職業や働き方を提案し、
それをお仕事にまですることができました。
今までみたいに、できないことを人より努力して頑張らなくてもいい。
それよりも、才能を自覚して活かせば、
ストレスも頑張りも少なく、能力が十分発揮できて、
自分も楽しく、人にも喜ばれると、実感できました。
才能を活かすことができるようになり、わかったことは、
本当の自分で生きること、
才能を活かして生きることを妨げているのは、
悩みの根である、幼少期の思い込み。
この思い込みが強烈なブロックとなって、
自分らしく生きようとするほど、
才能を活かそうとするほど、ブレーキをかけるのです。
才能を活かし、本当の自分で生きるためには、
2つの無意識を意識化する(気づく)こと。
1つ目は、
望まない現実に向かってハンドルをきり、アクセルを踏んでしまう、「無意識の反応パターン」に気づくこと。
2つ目は、
反応パターンを引き起こす根本原因である、「幼少期の思いこみ」に気づくこと。
この2つに気づくだけで、
「これが悩みの元凶だったのか~」と腑に落ち、
長年の呪縛からの解放感を味わえたり、
肩の荷が下り、ぐっと楽になり、体と心の余裕が生まれる。
そこで初めて、
「才能で生きるには、どうしたらいいか?」を想像したり、
「本当の自分で生きてみたい!」と意欲がわいてくるようになります。
しかし、それだけではまだ足りませんでした。
日常生活は格段に楽になり、意欲もわいてきた。
でも気づくといつも、
周りの環境や他人にふり回されるループにハマってしまう。
そして後になって、
あ~、またやっちゃった。
才能で生きたい、本当の自分で生きたいのに、
気づくといつも、誰かや何かにふり回されてる。
わかっているけど、やめられない。
どうしたらいいのかわからない!!
そんな時にたどり着いたのが、体へのアプローチでした。
最終関門を突破すべく、
心理療法、認知行動療法、自我状態療法など、
良さそうなセラピーや療法を、手当たりしだい人体実験しました。
その結果わかった、ふり回されるループにハマる根本原因は、
幼少期に身に着けた回避行動を、無意識にとってしまうからでした。
体は、幼少期に傷ついた体験を記憶しています。
傷ついた当時、
どんな感情、感覚を味わったか?
その時、自分で自分を守るために、どんな回避行動をとったか?
それらを身体の感覚として体に刻みこみ、記憶します。
その記憶方法は、自転車の乗り方を覚えた時のように、
感覚で覚えていても、言葉で説明できない記憶となって体に残り続け、消すことができない。
そして、日常生活で「あの時みたいに傷つくかも?!」と体が察知すると、
自分を守ろうと、とっさに回避行動が発動します。
その速さは、頭の認識が追いつかないくらい。
体が素早く察知して、反応して、あっという間に回避行動をとってしまいます。
だから気づいた時には、
なんでこうなっちゃったの?!
またふり回されてしまった!
わかっているけどやめられない!
という望まない結末になってしまいます。
回避反応モードの体は、
恐れや不安を感じやすく、必要以上に敏感で、過緊張状態。
その状態で、いくら言葉で、
「大丈夫、安心していいよ」
「才能で生きてもいいんだよ」
「本当の自分で生きようよ!」とアプローチしても、
回避反応が暴発して、根本的な変容にはたどり着けない。
本当にやるべきことは、
回避反応の源泉である、体にアプローチして「大丈夫!」を伝えること。
そのためには、
傷つき体験を避けることではなくて、
見ないようにフタしていた、傷つきに気づくこと。
そして、感じること。
これこそが、望む現実に向かうための、
本質的なアプローチだということにたどり着きました。
体へのアプローチを欠いたまま、
望む現実を追い求めても、
必ず望まない現実に引き戻される。
変わろうとすればするほど、望まない現実を引き寄せる。
例えば、
「才能で生きよう!」と意を決して行動しても、
体が「あの時みたいに傷つくかも!」と察知すると、
回避反応が起こり、不安や恐れがわき上がり、体が過緊張状態になる。
うまくいかず、自信が持てず、
気づくと他人と自分を比べ、欠点や不足を見つけて克服している。
才能で生きようとしているつもりが、
他人や世間的な評価にふり回されている。
そうなるのは、自分のせいではなく、回避反応が起こるからであり、
体を変えない限り、回避反応にふり回され続けます。
これは、自分で人体実験して何度となく痛感しましたし、
お客さまの経験を見ていても、必ず起こっていることです。
うつ病をきっかけに、
悩みもがき苦しむ根本原因と解消方法を、徹底的に解明してやる!!
と、探究し抜いて10数年が経ちました。
探究して気づいたことは、
私は幼いころからずっと、
誰かの望む道を、誰かの言う通りに歩いていた。ということです。
自分にがっちりフタをして、
誰かが良いという道を歩んでいれば正解で、
波風立たず、安全に生きられる。
しかしそうしていると、
フタがどんどん強固になって、
自分の本当の気持ちや感情、望みがわからなくなる。
その状態で、
悩みを解消しようとすればするほど、解消しない。
自分を変えようとすればするほど、変えられない。
むしろ、悩みがこじれたり、深刻化し、
変わらない自分を嘆く現実がやって来る。
ならばどうすればいいか?というと、
ただ、気づくだけでいい。
何に気づけばいいか?というと、
今まで、見ないようにフタしていた幼少期の思い込みに気づくこと。
無意識のうちに発動する、幼少期に身に着けた回避行動に気づくこと。
なかったことにしていた、生まれ持った才能に気づくこと。
「気づく」を続けていると、本当の自分がわかってくる。
そして、
本当の自分だったら、何をしたいのか?が見えてきて、道が定まる。
これ、やってみようかな。と、自然と意欲がわいて行動したくなる。
気づくと、
自分の望む道を、自分の力で歩んでいけるようになっている。
自分の道を歩んでいると、いつの間にか、
自分との関係が良好になり、
それにシンクロして、自分の周りの世界も良好になる。
解消しようとしていた問題が解消している。
変えたい!と思っていた人や物事が変わっている。
望んでいた現実がやってくる。
その一歩が、気づくことなのです。
しかし、
悩みの解消を10年以上探究して実感したことは、
自分で自分に気づくことは、なかなか難しい。
なぜなら、自分自身では気づけないように、
何重にもトラップをかけ、厳重にフタをしているから。
そして、
自己分析は事故分析になるということ。
自分で自分を分析して、
なんとかしようとすればするほどドツボにハマり、抜け出せない。
だからこそ、信頼できる他者に客観的に見てもらい、
分析してもらうことが必要。と痛感し、
10年以上探究と人体実験して効果を実感した、
心理、東洋占星術、ボディワークを駆使して、
自分の望む道を、自分の力で歩める人を世の中に増やしたい!との思いで、
現在、個別セッションをさせていただいております。
相談業をしているのに、こんなことを言うのはなんですが、
私は人と関わるのが苦手(嫌い)です。
なぜなら、共感したり、寄り添うことが苦手だから。
夫からは、
「あなたは、人そのものを見ずに、人の周りのコトを見るタイプ」
と言われます。
遅刻した人を怒って責めるのではなく、
なぜこの人は遅刻するのか?遅刻する原因を分析するタイプです。
なので、悩んで辛いんです。苦しいんです。と言われると、
共感するのではなく、
なぜこの人は、この状況を苦しいと感じるのか?
辛くなるのは、何がそうさせるのか?
その根本原因を分析してお伝えする。
私のセッションは、そんなスタイルです。
人が苦手でも、相談業をしたいと思うのは、
人が悩む仕組みを分析するのが、この上なく好きだから。
人の才能を特定するのが好きで得意だから。
才能で生きる人がもっと世の中に増えたらいいなと思うから。
自分の望む道を、自分の力で歩む人が、もっと世の中に増えたらいいなと思うから。
そんな思いでセッションをさせていただいております。
ここまで長い自己紹介にお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
ノベオカ ミサキ